湘南プロムナード
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鎌倉散策道【銭洗弁天・佐助稲荷】
銭洗弁財天
(ぜにあらいべんてん)〈銭洗弁財天宇賀福神社〉

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 銭洗弁財天(ぜにあらいべんざいてん)字賀福神社(うがふくじんじゃ)。
 鎌倉で八幡宮とともに、たいへんな信仰を集めているのが、扇ガ谷の銭洗弁財天だ。
 駅から歩いて25分、巳の日には道筋が参拝者でいっぱいになる。遠路、関西からやってくる″信者″もいる。
 備えつけの小ざるに百円玉はおろか、一万円の札束を入れて、霊水にひたす。どうせふやすカネである。ケタは大きい方がいい。
 境内はお線香の煙がたちこめ、奥の洞窟では銭を洗う人が絶えない。現世利益を願う庶民の熱い気持ちを身にしみて感じる境域である。しかしこのあたりは〈隠れの里〉といわれるように、木立深い山腹の寂静の地なのである。
 平安時代の末期は、政情の不安に加えて災害が続き、人々の苦しみはひどかったという。鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、多くの民の救済を神仏に祈ったと伝えられる。巳年(文治1、1185)巳月巳日、宇賀福神が頼朝の夢枕に老人が立ち、「われは、これより西の方、隠れの里に住居する宇賀福神(うがのふくじん)なり、汝よろしくわが泉を汲みて祈るべし、神仏の加護はあらたかなり」 この地に湧きだす水をもって神仏に供養せよと告げたという。頼朝はここに社を建て宇賀福神をまつり、日々神仏に水を供えたので、世はしだいに治まったという。当社創建の由来である。
 伝説によると、頼朝はこの霊水を汲んで、宇賀福神の供養を行なった。だがここで銭を洗えば、福銭が倍増するといったのは、のちの執権北条時頼だ。鎌倉の権力者たちはなにかの代償に(隠れの里)の利権を認めていたようだ。
 執権の北条時頼もこの神を信仰し、ここの水で銭を洗って福銭とし人々の健康と繁栄を祈ったところ、以後、この水で洗い清めた金銭は数倍になってもどるという伝えを生んだという。
 弁天さまは洞窟のなかにある。参道はおびただしい鳥居、祈願に奉納されたミニチュアの鳥居とともに有難い霊験の証左であろう。
 銭洗弁財天のご神体は弁天さまではない。宇賀福神という人頭蛇身の神さまだ。伊豆石でできているが、鎌倉市史によると、明治年間に無量寺ガ谷の奥、興禅寺跡のやぐらから発見されたらしい。
 〈宇賀神〉は元来は穀物の神であるが、転じて福の神とされ、財福の神である〈弁財天〉と同一視されるようになったという。
像は多く天女形に造られたが、白蛇や狐をまつったものも多い。当社は〈宇賀福神〉であるが、財福を強調して名づけられたものであろうか。
 商売繁盛、福徳円満を願うなら、佐助稲荷(鉄洗財弁天の西南300メートル)もいっしょに参詣したほうがよい。
 それに、銭洗弁財天と佐助稲荷は無関係ではない。
住所 鎌倉市佐助2−25−16
電話  0467-25-1081
拝観料 無料
拝観時間  8時〜17時(巳の日は6時〜)
アクセス JR鎌倉駅西口から徒歩25分
見学時間 約20分
ハイキング
コース  


● 佐助稲荷・銭洗弁天を経て源氏山へ

 銭洗弁財天から急坂を数分歩めば源氏山である。源氏山からたどる道は多彩である。化粧坂を下って海蔵寺方面へ向かえば、亀が谷坂の切通しを経て建長寺へ、浄光明寺・寿福寺へ、さらに鶴岡ハ幡宮への道が選べる。葛原岡ハイキングコースを逆にたどれば浄智寺・円覚寺へ、裏大仏ハイキングコースをとれば鎌倉大仏・長谷観音へと至る。
佐助稲荷神社
(さすけいなりじんじゃ)

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 佐助稲荷神社は、長い参道には鳥居が並び立ち、赤い幟旗が林立して社殿へと続く。源頼朝が伊豆に流されて病の床にあったとき、当社の神霊が翁の姿に身を変じて夢枕に立ち、挙兵をすすめて助けたという。
 幼時頼朝は佐殿と呼ばれていたが、鎌倉に入った頼朝は佐殿を助けたという意で〈佐助稲荷〉と名づけ、畠山重忠に命じて当社を再興したと伝える。
 佐助稲荷の社伝を見る。頼朝が蛭ガ小島にいたころ、ここの祭神・宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)か翁の姿で夢枕に立ち、挙兵をすすめた。佐殿(すけどの)を助けたので佐助稲荷という。
 建久年間(1190〜98)、頼朝は畠山重忠に命じて神社を再建し、山崎の地(神社の西北方、山崎天神や頼朝かくし湯跡がある)を寄進した。
 明治4年の『旧貫御境内記録』には「平地無之峠立の山、鶴岡ハ幡宮非常御旅所境内佐介ガ谷、ハ幡宮御旅所御末社佐介稲荷社」とある。非常の際、ハ幡宮の神輿はここに奉遷されたのである。
 ハ幡宮の御旅所に隠れの里の稲荷社が選らぱれたわけは明らかでない。しかし重忠に社殿再建を命じた頼朝は、すでにこの地を知っていたことになる。
 頼朝の伊豆配流時代、夢枕に立った老翁が宇迦御魂命、また、鎌倉大蔵屋敷の夢枕に立った老人も宇賀福神。話は申し合わせたように一致しており、ところも同じ隠れの里である。
 古語によると宇賀福神の「ウカ」は「奥にある処」から「洞穴」の意。また別の解釈では「最高の食物」つまり「稲」であり、佐助稲荷の祭神につながる。
 ところで隠れの里とは、いわゆる″秘境″である。隠れの里伝説は全国にある。そのほとんどは池のほとり、洞穴に関連かあり、水底や穴の奥は竜宮につながると信じられた。これらの主は美女に変化する竜神、大蛇である。
 こうした秘境は人を寄せつけない。ただし隠れの里の″しきたり″にしたがった者だけが、その里の美女と契ったり、当時は貴重であった膳椀を貨して貰ったという話が残っている。
住所 鎌倉市佐助2−22−10
電話  0467-22-4711
拝観時間  境内自由
アクセス JR鎌倉駅西口より徒歩28分
見学時間 約10分
ハイキング
コース 

● 佐助稲荷・銭洗弁天を経て源氏山へ

 鎌倉駅西口から佐助稲荷神社・銭洗弁天・源氏山をめざすには、市役所前を進んで御成隨道を抜ける道と、市役所前の交差点を右に折れて寿福寺方面に歩き、左折して佐助隨道を経由する道とがある。

● 北鎌倉から葛原岡までは〈葛原岡ハイキングコース〉、葛原岡から大仏坂切通し支では〈裏大仏ハイキングコース〉といわれている。源氏山はいずれも行かれる。
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