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鎌倉散策道【妙隆寺・大巧寺】
妙隆寺
(みょうりゅうじ)〈日蓮宗〉

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 小町大路沿いの「日蓮辻説法址」から、八幡宮方向に100メートルほど行った左手にある日蓮宗寺院。一帯は鎌倉幕府の有力御家人だった千葉常胤(ちばつねたね)の子孫胤貞(たねさだ)の別邸跡と伝えられ、一般に「千葉屋敷」とも呼ばれる。
 胤貞は下総に広く保有する領地を積極的に経営し、一族とその氏寺である下総の中山法華経寺の勢力を不動のものとした。
 境内には「鍋かむり日親」の激しい修行を伝える遺蹟が残る。
 日親上人の布教の足跡は九州を中心に全国におよぶ。墓地には、広島で被爆死した「新劇の團十郎」こと名優丸山定夫の石碑がある。モリエールの戯曲「守銭奴」のアルパゴンに扮した丸山の表情が浮彫にされた石碑の前には献花が絶えない。
住所 鎌倉市小町2−17−20
電話  0467-23-3195
拝観料 無料
拝観時間  特になし
アクセス  JR鎌倉駅東口徒歩12分
妙隆寺・寺史 : 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派   日蓮宗
山号寺号  叡昌山妙隆寺
創建   1385(至徳2年)
開山  日英上人
開基    干葉胤貞
本尊 日蓮上人
寺宝
 干葉胤貞の念持仏と伝えられる木造釈迦如来像や、日祐(中山法華経寺第三代)・日英・日親の曼荼羅尊。江戸時代のものでは、本尊の木造日蓮上人坐像(市文)、1634(寛永11年)鎌倉仏師菊地出雲守作の日英・日親および胤貞の木像など。江の島鎌倉七福神の一つ寿老人像も。
 源頼朝の鎌倉幕府創設に貢献し、関東御家人の重鎮であった千葉常胤の子孫、胤貞(1287〜1336)が祖先の追福のため、その屋敷跡に日英(1346〜1423)を開山に迎えて1385(至徳2)年に創建したという。創建時、胤貞は没しているので、のちに招請された開基ではないかといわれる。
 第二世住職の日親(1407〜1423)は、〈なべかむり日親〉として知られる。京都布教を発願し、本寺の池で百日間の水行をして京都へ旅立ったという。1440(永享12)年、『立正治国論』を著して室町将軍足利義教に法華経への信仰を強くすすめて捕えられ、灼熱の鍋を頭にかぶせられたが、その信念を曲げることはなかったという。
大巧寺
(だいぎょうじ)〈おんめさま、単立寺院(たんりゅぅじいん)〉

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  境内は狭いが、花樹・草花の豊かな寺である。〈産女霊神〉を本尊とし 「おんめさま」の名で親しまれる、安産祈願で有名な寺。その起こりは1532(天文元年)、第五世の日棟が、難産で死んだ秋山勘解由の妻の霊魂を鎮めるために、産女霊神として奉ったことによる。以後、産女霊神は「おんめさま」と呼ばれ、安産の神として信仰されている。
 大巧寺は檀家を持たず、安産祈願の寺として存在する全国的にも珍しい寺である。
住所 鎌倉市小町1−9−28
電話  0467-22-0639
拝観料 無料
拝観時間  9時〜17寺
アクセス  JR鎌倉駅東口より徒歩3分
大巧寺・寺史  : 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派  日蓮宗系単立
山号寺号  長慶山正覚院大巧寺(ちょうけいざんしょうがくいんだいぎょうじ)
創建  
開山   日澄上人(にっちょうしょうにん)
開基   
本尊 産女霊神
寺宝
 水晶宝塔(現在本山妙本寺宝物殿に保管)
 産女霊神〉を本尊とし、今日でも、安産を祈願すする寺として多くの人々の信仰をあつめている。その由来は、天文年間(1532〜1555)に第5世住職の日棟が、夷堂橋の付近に出る難産で死んだ産女の霊を供養して鎮め、安産の神として祀ったことによると伝えられている。その産女の神としてが(おんめさま〉と呼ばれ、現在でもその愛称で親しまれている。
 本寺の沿革は、もと十二所にあって、大行寺という真言系の寺院だったが、頼朝がこの寺で軍議の後、大勝を収めたことにちなみ、大巧寺と名を改めたと伝えられる。若宮大路沿いに「頼朝戦評定所」の石碑があるのはこのためである。
 また、時の住持が妙本寺にいた日蓮上人に帰依したため、日蓮宗に改宗したともいう。
 境内は若宮大路から小町大路にかけて通り抜けられるようになっていて、色とりどりの季節の山野草には名札もつけられ、駅前にあるにもかかわらず、小さな植物園のような風情である。
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