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鎌倉散策道【妙法寺・安国論寺】
妙法寺
(みょうほうじ)苔寺(こけでら)、日蓮宗

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 苔むしか石段の美しさで゛苔寺″と呼ばれている日蓮宗の古刹。総門から手入れのいい参道を歩<と仁王門があり、そこから苔の石段がのびている。参詣者は右脇の石段を登って法華堂へ。さらに石段を登ると「松葉ガ谷御小庵跡」の碑が立っている。そこから右へ進んだ山上に大塔宮護良親王の墓、左へ進むと開山日叡上人と母南ノ方の墓が並んでいる。
 護良親王(もりながしんのう)の遺見目叡上人が父の菩提を弔うために日蓮聖人の小庵跡に建立。日蓮聖人は松葉ケ谷に小庵を結び布教を行ったとされるが、最初の小庵跡は別の寺であるという説もあり詳細は不明。
 鎌倉での布教に乗り出した日蓮が草案を結んだ地で、後に対立者のために焼き討ちされた、いわゆる「松葉ケ谷の法難」の舞台となったところである。毎年、八月に行われる法難会では、日蓮上人を助けた白猿に生姜を捧げたいわれにちなみ、「厄除け生姜」の供養がある。
 法華堂への石段は一面緑の苔におおわれて、木漏れ日に微妙にその色を変える。本寺が〈苔寺〉と別称されるゆえんである。石段両脇に群生するシャガは、4月中旬から5月初句にかけて清楚な花をつけて彩をそえる。別に設えられた石段を登ると法華堂である。
住所 鎌倉市大町4−7−4
電話  0467-22-5813
拝観料 有料
拝観時間  9時30分〜16時30分
アクセス  JR鎌倉駅東口から徒歩20分
JR鎌倉駅東口より新逗子駅、緑ヶ丘入口行きバス名越下車徒歩5分
妙法寺・寺史  :  【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派   日蓮宗
山号寺号  楞厳山妙法寺
創建   1253(建長5年)
開山  日蓮(中興開山・日叡)
開基   
本尊 一塔両尊四師
寺宝
 本尊ほか不動明王像、1804(享和四年)銘木造大黒天立像など近世仏像彫刻、細川姫?絵など。 
 創建は1253(建長5年)。護良親王の遺児で幼名楞厳丸(りょうごんまる)、後の日叡上人が、亡き父の菩提を弔い、また宗祖日蓮の遺跡を守るために寺を再興した。
 日蓮宗の開祖、日蔭を開山、日叡を中興開山とする本寺は、総豊かな境域にある。総門、文政年間(1818〜1830)肥後細川家建立の本堂、仁王門、文化年間(1804〜1818)水戸家建立の法華堂、鐘楼などが建ちならび、寺域は山上へと続いている。
 法華堂への石段は一面緑の苔におおわれて、木漏れ日に微妙にその色を変える。本寺が〈苔寺〉と別称されるゆえんである。石段両脇に群生するシャガは、4月中旬から5月初旬にかけて清楚な花をつけて彩をそえる。別に設えられた石段を登ると法華堂である。〈法華堂〉は『法華経』を読誦してその真髄を体得するお堂であり、また『法華経』の講義をおこなうお堂でもある。日蓮ゆかりの寺院にふさわしい建物と思われる。鐘楼横の石段を登りつめると、日蔭の小庵跡である。
 日蓮(1222〜1282)は鎌倉や比叡山などで修学すること14年余、その間に『法華経』こそが仏の真の教えであることを確信したという。
 1253(建長5)年、鎌倉の名越松葉ガ谷に小庵を結んで布教を開始した。この年はまた、本格的な禅宗寺院の建長寺が創建された年でもある。最初に小庵を結んだ旧跡は本寺であるとも、安国論寺、長勝寺であるともいわれるが、詳細は明らかではない。
 当時は飢饉や疫病が続き、社会不安が増大していた。日蓮はその原因を、正しい教えである『法華経』を捨てて念仏などの邪法にはしったためとし、1260(文応1年)年に『立正安国論』を著して鎌倉幕府前執権、北条時頼に上呈して邪法の禁止を訴えた。
 しかし、このことはかえって念仏者らの反感をかい、同年8月に松葉ガ谷の小庵は襲われて焼かれ(松葉ガ谷の法難)、日蓮は下総(千葉県北部)にのがれた。翌年春、ふたたび鎌倉で布教を始めたが、幕府に捕えられ伊豆こ配流されている(伊豆法難)。
1271(文永8)年には佐渡に流罪となり(竜口の法難)、1274(文永11)年に許されて鎌倉に帰り、ついで身延山に入ったのである。たびかさなる迫害をのりこえて現実社会に立ち向かった日蓮の苦難の布教は、鎌倉にその跡をとどめているのである。
 中興開山の日叡(1334〜1397)は、護良親王(1308〜1335)の遺子と伝えられる。非業の死をとげた父の冥福を祈って、日蓮の小庵跡に1357(延文2)年、妙法寺を建立したという。
 小庵跡を右に登れば護良親王(大塔宮)の墓と伝える石造塔、左に行けば日叡の母と日叡の墓と伝える石造塔がそれぞれ立つ。樹間からは材木座の街並の向こうに鎌倉の海が輝いて見える。
 境内には、日叡上人が植えたといわれるソテツや御小庵跡、日上人とその母南の方の墓もあり、山頂にある護良親王の墓からは市街地と海を一望することができる。
 しっとりと縁に包まれた境内には、細川家の寄進による本堂や、水戸家が寄進した法華堂などが建ち、江戸時代には各地の大名や江戸城大奥の女人たちの信仰を集めた様子がうかがえる。
安国論寺
(あんこくろんじ)日蓮宗

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大町のバス通り(鎌倉葉山線 311号)を名越方面に進むと、「名越四ツ角」と書かれた交差点の少し先に左に入っていく道がある。寺はこの道の突き当たりにある。一帯を松葉ケ谷といい、1253(建長五年)、安房国から鎌倉に入った日蓮上人が初めて庵を結んだ場所として知られる。
彼はおよそ20年をこの地で過ごし、その聖跡が寺となった。
松葉谷根本道場」と彫られた石碑のある山門をくぐると、石畳の参道左側に東京・増上寺の徳川家御霊屋から移されたという石灯龍が並ぶ。参道正面に大きな祖師堂(本堂)がある。
開山は、日蓮宗開祖の日蓮(1222〜82)である。鎌倉、比叡山などでの14年にもおよぶ修学後、1253(建長5)年に鎌倉の名越松葉が谷に小庵を結んで布教を開始したのであった。
1260(文応1)年には『立正安国論』を著して北条時頼に上呈し、念仏などの邪法を排して『法華経』に帰依するようすすめた。本堂の向かい側にある〈小庵〉の奥に連なる岩屋(法窟(ほうくつ)といわれている)で、本書は起草されたと伝えられる。
住所 鎌倉市大町4−4−18
電話  0467-22-4825
拝観料 志納
拝観時間  9時〜17時(月曜は閉門)
アクセス  JR鎌倉駅東口から徒歩13分
JR鎌倉駅東口より名越経由緑ヶ丘入口、新逗子駅行きバス名越下車徒歩2分
安国論寺・寺史 :  【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派  日蓮宗
山号寺号  妙法華経山安国論寺(みょうほけきょうあんこくろんじ)
創建   1253(建長五年)
開山   日蓮上人
開基   
本尊 南無久遠実成本師釈迦牟尼仏
寺宝
 木造日蓮上人坐像。日蓮上人の道場を起源とする御小庵の建物は、元禄時代に尾張徳川家が寄進したもので総欅造り。ほかに鬼子母神および十羅刹女立像、七面大明神立像、大黒天像など。
 開山は、日蓮宗開祖の日蓮(1222〜82)である。鎌倉、比叡山などでの14年にもおよぶ修学後、1253(建長5)年に鎌倉の名越松葉ガ谷に小庵を結んで布教を開始したのであった。
1260(文応1)年には『立正安国論』を著して北条時頼に上呈し、念仏などの邪法を排して『法華経』に帰依するようすすめた。本堂の向かい側にある〈小庵〉の奥に連なる岩屋(法窟(ほうくつ)といわれている)で、本書は起草されたと伝えられる。
 日蓮の小庵跡は妙法寺や長勝寺(ちょうしょうじ)にもあってあきらかではないが、20年におよぶ鎌倉布教で四回の大法難と数多くの迫害を受けた日蓮が、何回か居所を転じたという想像は可能であろう。
 『立正安国論』を著した翌月の八月の松葉ガ谷の法難のさい避難したという〈南面窟〉が、本寺裏山にある。
 本堂(祖師堂)は1961(昭和36)年に多くの寺宝とともに焼失し、現在のものはその後の再建である。本堂脇から南面容に向かう途中、〈日朗上入御荼毘所(にちろうしょぅにんおだびしょ)〉の石柱とお堂がある。日朗(1245〜1320)は日蓮の高弟で、幼少より師に随従し、師の寂後は比企ガ谷(ひきがやつ)に創建した妙本寺を布教の拠点となした。
 遺言により日蓮布教の故地、松葉ガ谷の地でダビに付されたという。
 「日蓮岩屋」と呼ばれる岩窟が本堂の向かいにある。その右手の「熊王尊殿(くまおうそんでん)」脇の石段を上ると、日蓮上人が日々、富士山に向かって法華経を唱えたという富士見台がある。さらに山道を行くと、「松葉ケ谷の法難」の際に日蓮上人が山王権現(帝釈天)の使いとされる白猿の導きで難を逃れたという「南面窟」がある。「南面窟」から山道をたどって富士見台を経て、小庵横の熊王殿(くまおうでん)に降りる巡礼路(じゅんれいろ)からは、長勝寺(ちょぅしょぅじ)や鎌倉の海が望める。
 熊王殿は、日蓮に仕えた熊王丸が感得した鎮守様をまつるという。そこから本堂に向かって下れば、「至孝第一」といわれた直弟子の日朗上人の御荼毘所がある。 境内には、日蓮の桜の杖が根付いたといわれる妙法桜やサザンカ、カイドウの巨木があり、いずれも市天然記念物。   
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