2017 年 11 月
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鎌倉散策道【教恩寺・常栄寺・安養院】
教恩寺
(きようおんじ)〈時宗(じしゅぅ)〉

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 鎌倉三十三所観音霊場第十二番札所。静かな住宅街のなか、表欄間に十六羅漢の木彫が施された山門の奥にあるこぢんまりとした寺。この一帯は旧名米町といわれた。 以前この地には光明寺の末寺善昌寺があったが、廃寺となってから、1678(延宝6年)、貴誉上人によって材木座の光明寺境内にあった教恩寺が移築されたという。教恩寺は小田原北条氏の三代、北条氏康が建立したとされる。
 山門におおいかぶさるようなタブの古木やサクラ、よく手入れされた境内に咲く草花が、ひととき喧噪を忘れさせてくれる。
住所 鎌倉市大町1−4−29
電話  0467-22-4457
拝観料 志納
拝観時間  10時〜15時
アクセス  JR鎌倉駅東口から徒歩7分
教恩寺・寺史 : 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派   時宗藤沢清浄光寺末(じしゅうとうたくしょうじょうこうじまつ)
山号寺号  中座山大聖院教恩寺(ちゅうざさんだいしょういんきようおんじ)
創建   1678(延宝6年)
開山  知阿上人
開基    北条氏康
本尊 阿弥陀如来三尊
寺宝
本尊の木造阿弥陀三尊像(県重文)の他、秘仏の聖観音菩薩像。
 本尊は、鎌倉でもっとも古い仏像の一つといわれる、鎌倉時代初期の阿弥陀三尊像である。伝えによれば、平重衡に源頼朝が与えた尊像だという。重衡(1156〜1185)は平清盛の子で、1184(元暦一)年、源義経らと一ノ谷で戦って敗れ、捕られて鎌倉に送られていたのである。
 頼朝が一族の冥福を祈るようこの阿弥陀像を重衡に与え、重衡も篤く信仰したという。
 1937(昭和12年)頃、境内から宋や明の時代の銅銭がたくさん入った壷が出土し、当時の貨幣経済を知る貴重な資料となっている。
 山門におおいかぶさるようなタブの古木やサクラ、よく手入れされた境内に咲く草花が、ひととき喧噪を忘れさせてくれる。
常栄寺
(じょうえいじ)〈ぼたもち寺、日蓮宗)

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 ぼたもち寺」という呼び名で親しまれている。
 1253(建長5)年、鎌倉に入って布教を開始した日蓮は、『立正安国論』を著して北条時頼に上呈し、念仏信仰を捨て法華経を信奉することをすすめた。そのため1271(文永8)年9月12日には、幕府によって捕えられ、鎌倉の大路、小路を引回しのうえ、竜口の刑場で斬首されることになった。奇蹟的に難をまぬかれて佐渡へ流罪となったが、その刑場への途次、この地に住んでいた桟敷の尼が胡麻のぼたもちを捧げて日蔭に供養したという。〈ぼたもち寺〉の由来である。
 〈桟敷〉とは展望台のことで、源頼朝は、この地の山上に桟敷を追って由比が浜を遠望したという。その故地に、江戸初期に本寺は開創された。 
住所 鎌倉市大町1-12-11
電話  0467-22-4570
拝観料 無料
拝観時間  9時〜17時
アクセス  JR鎌倉駅東口より徒歩8分
常栄寺・寺史 :: 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派  日蓮宗
山号寺号  慧霊山常栄寺(えうんざんじょうえいじ)
創建   1606(慶長11年)
開山   日詔上人(にっしょうしょうにん)
開基    日祐法尼(にちゆうほうに)
本尊 三宝祖師
寺宝
 日蓮上人にぼた餅を勧めた嫗が使っていたといわれる鉄漿壷(おはぐろつぼ)と木鉢が伝わる。
 寺が創建されたのは1606(慶長11年)。寺号は嫗の法号である妙常日栄からとられた。 種々の奇跡により処刑を免れたことから、後に「頸つぎのぼた餅」という逸話が生まれ、世に「御首継ぎに胡麻の餅」といわれる由来ともなった。龍の口の法難があった9月12日には祖師像にぼた餅を捧げ、参詣の人たちにもぼた餅の供養接待が行われる。
 このぼた餅は厄を除くとされ、この日は多くの人で終日賑わう。
 こぢんまりとした境内だが、レンギョウ、シャガ、アラゲハンゴンソウ、ジンジャー、コスモスなど、花の数は多い。
安養院
(あんよういん)〈浄土宗〉(じょぅどしゅぅ)

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 祇園山安養院田代寺は、五月を迎えると名越街道沿いに、鎌倉一といわれるツツジの植込みを見ながら山門をくぐると正面に本堂、右に庫裏、左に地蔵堂が建っている。そこから本堂の裏へまわると宝篋印塔が2基立っている。左の小さい方が北条政子の墓、右は尊観上人の墓と伝わる重文で、鎌倉に現存する最古の塔とされる。また本堂の左手前には尊観上人手植えと伝わる榎の木も茂っている。
 もとは良弁尊観が開いた浄土宗名越派善導寺の地だが、同寺は1333(元弘3年)、鎌倉幕府滅亡の際、戦火で焼失した。 1225(嘉禄元年)、北条政子(1157〜1225)は亡夫源頼朝の菩提のために、開山に願行房憲静(がんぎょうぼうけんじょう)を迎えて佐佐目(笹目)に律宗の寺を開創したという。
 憲静は律(出家者の集団生活上の規則)に精通した高僧で、理智光寺(廃寺)を開いたことでも知られる。鎌倉幕府崩壊後、浄土宗の善導寺跡の現在地に移り、政子の法名にちなんで〈安養院〉と改めたという。1680(延宝8)年の火災で全焼し、比企ガ谷(ひきがやつ)の妙本寺近くにあった田代観音堂を移して再建した。
住所 鎌倉市大町3−1−22
電話 0467-22-0806
拝観料 有料
拝観時間 8時〜16寺30分(7月8日、12月29〜31日拝観不可)
アクセス JR鎌倉駅東口より緑ヶ丘入口行バス名越四角下車徒歩2分
安養院・寺史  : 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派 浄土宗
山号寺号 祇園山安養院田代寺
創建 1225年(嘉禄元年)
開山  良弁尊観
開基 北条政子
本尊 阿弥陀如来
寺宝
 本尊ほか、徳治三年銘の宝篋印塔など。
 田代観音堂は、源頼朝の伊豆配流から近侍した田代信綱の開創と伝えられ、信綱の守り本尊を胎内に納めるという千手観音(せんじゅかんのん)は、〈田代観音〉ともいわれる。本寺が坂東三十三所観音霊場・鎌倉三十三所観音霊場のいずれも第三番札所であるゆえである。
 千手観音は、千の慈手と千の慈眼をそなえて生きとし生けるものすべてを救済する観音として、奈良時代より広く信仰された。
 像は、合掌手を除いて40手に造られえることが多いという。
 本堂(昭和の再建)の須弥壇上には、本尊の阿弥陀如来像と千手観音像が安置されている。堂内には、他に馬頭観音像や田代観音堂の開山尊乗の木造坐像(江戸時代)なども安置される。
 境内には〈日限地蔵〉と親しまれる地蔵菩薩像がある。本堂裏手にまわれば、鎌倉最古という徳治3(1308)年銘の大きな宝篋印塔(ほうきょぅいんとう)と、北条政子の墓と伝える小さな宝篋印塔が並び立っている。
 宝篋卵塔は本来、宝篋印陀羅尼(ほうきょぅいんだらに)を納める塔であるが、のちに供養塔・墓塔として造られた。
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