2017 年 11 月
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鎌倉散策道【極楽寺・成就院】
極楽寺
(ごくらくじ) 〈真言律宗〉

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 鎌倉駅から江ノ電を利用して極楽寺駅で降り、線路上にかかる橋を渡ると、極楽寺の山門である。
 茅葺の山門をくぐると桜並木の参道が続き、正面に本堂、左に客殿と庫裏、右に観音堂と宝物館が建っている。 
 1259(正元元)年、北条重時が深沢にあった念仏堂を移築し、忍性上人を開山にして創建。忍性上人は慈善事業に尽力した高僧で道路工事や井戸掘り、孤児院や養老院といった施設を開いて救済活動に努めた。
住所 鎌倉市極楽寺3−6−7
電話  0467-22-3402
拝観料 無料(宝物殿は300円)
拝観時間  境内自由(宝物殿は土・日曜、祝日の9時〜16時、8月は閉館)
アクセス  江ノ電極楽寺駅から徒歩2分
極楽寺・寺史 : 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派   真言律宗
山号寺号  霊鷲山感応院(れいじゅうざんかんのういん)極楽寺
創建   1259(正元元年)
開山  忍性菩薩
開基    北条重時
本尊 釈迦如来
寺宝
 京都清涼寺の釈迦如来像を模した本尊木造清涼寺式釈迦如来立像の他、数少ない転法輪の印を結ぶ木造釈迦如来坐像、本尊脇侍の木造十大弟子立像は、いずれも鎌倉時代の作で国の重要文化財。他に平安期の木造不動明王坐像(国重文)、木造文殊菩薩坐像、木造忍性菩薩像など。国重文指定の密教法具類も残されている。  
 釈迦生誕の日といわれる4月8日の花祭り(潅仏会)、本堂前には花御堂が設えられ釈迦の誕生像が安置される。参拝者は誕生仏に甘茶を注ぎ、みずからもまた甘茶をふるまわれる。
 本尊の釈迦如来立像が開扉され、奥ノ院の、開山忍性と三世順忍の大五輪塔が一般公開される(本尊は7日〜9日まで開扉)。境内が桜の花に埋めつくされるのも、このころである。
 真言律宗の名刹。正嘉年間(1257〜59)、ひとりの老僧が深沢に草堂を建て、阿弥陀如来像を安置して極楽寺と称していた。老僧の亡きあと、1259(正元元年)に北条義時の三男重時が現在の場所に再建したと伝えられる。
 重時の没後は、子の長時。・業時が父の遺志をついで寺観をととのえ、1267(文永4)年、忍性を開山に迎えて真言律の寺とした。
重時(1198〜1261)は六波羅探題として長く京に在住していたが、1247(宝治1)年、鎌倉にもどり、連署として、執権の北条時頼の幕政を助けた。
 子の長時は六代目の執権、業時は連署として、それぞれ幕府の中枢を占めた人物である。
 忍性は(1217〜1303)は、真言密教と戒律を統合した真言律を宣揚した叡尊について学んだ。
文殊菩薩を厚く信仰し、その事績でとくに知られるのは、貧者・病者の救済、道路の修築や架橋などの 慈善救済事業、寺域内に 施薬院、悲田院、施益院、福田院の四田院を設け、不幸な人を救済するための福祉事業にも取り組んだ。人間だけでなく、病気や年老いた牛馬の面倒を見る病舎も建てるなど、ボランティアの先駆者ともいえる徳の高い僧侶で、人々からは医王如来と崇められていた。そのほか橋を架けるなどの土木事業にも力を注いだ。
 1252(建長4)年、関東に下って布教を始めた忍性は、北条業時に請われて多宝寺(廃寺。扇ガ谷にあった)に住し、ついで極楽寺の開山に迎えられた。忍性は、極楽寺を七堂伽藍と四十九院をそなえた大寺院として整備した。真言律布教の関東の拠点とする。
 完成当時は、七堂伽藍と四十九の塔頭を持つ大寺院だったが、その後は次第に衰微して、今では伽藍古図によってしかその面影をしのぶことができない。境内には、療病・施薬に用いた石造りの薬鉢や茶臼が今に伝えられている。奥ノ院には〈忍性塔〉といわれる、4メートル近い大五輪塔の忍性の墓がある。石造美術としても屈指の優品である。
現在残っているのは本堂のみ。境内に残る製薬鉢や千服茶臼が往時をしのばせる
鎌倉三十三所観音霊場の第二十二番札所。
成就院 (じょうじゅいん)(真言宗)

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 六月中旬から七月初旬にかけて、極楽寺坂切通しの旧道沿いにあり、山門に続く石段の道の両脇に数多く植えられたアジサイが美しことで知られる。 山門前からは鎌倉の海が望まれる。
 空海(弘法大師)が江ノ島を訪れた際にこの地で数日問護摩を焚いたという。
 3代執権北条泰時がその霊跡に自ら開基として創建したのが成就院。
新田義貞鎌倉攻めの兵火で焼失したが、元禄年間に再建した。
住所 鎌倉市極楽寺1−1−5
電話  0467-22-3401
拝観時間  8時〜17時
アクセス  江ノ電極楽寺駅から徒歩4分
成就院・寺史 : 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派  真言宗大覚寺派
山号寺号   普明山法立寺成就院(ふみょうざんほうりゅうじじょうじゅいん)
創建   1219(承久元年)(承久3年の説も)
開山   弘法大師
開基    北条泰時(伝)
本尊 不動明王
寺宝
 本尊のほか、鎌倉三十三観音第二十一番とされる聖観世音菩薩、金剛界・胎蔵大日如来、弘法大師、地蔵菩薩、千手干眼観世音菩薩各木像など。文覚上人荒行像と伝えられるダイナミックなタッチの木像は、「日本のロダン」と称される彫刻家荻原守衛の作品に大きな影響を与えた。
 本尊の不動明王は縁結びのご利益があり、花の季節ならずとも来訪者が多い。また弘法大師が諸国巡礼の折、100日間にわたって虚空蔵菩薩をまつる修法を行った所と伝えられている。
 真言宗を開いた空海(774〜835)が全国を遍歴した折に、勝景のこの地で護摩を焚いたと伝えられる。その霊跡に、第三代執権の北条泰時(1183〜1242)が本院を創建したという。
 その時、香の煙があたりに広がり、鈴の音も響きわたり、付近に住んでいた人々は感激のあまり涙したと伝えられる。以来、作物はよく実り、暮らしが豊かになったといわれている。
 その後1219(承久元年)、鎌倉幕府三代執権の北条泰時が都から高僧を招いてこの寺を創建し、北条一族の繁栄を祈ったという。
 新田義貞により幕府が滅ぼされた1333(元弘3年)の戦火で寺は焼失し、西ガ谷に移って法灯を守ったが、かつて、元禄年間(1688〜1704)に祐尊が旧地にもどして再興したという。
 境内には弘法大師像、法隆寺の夢殿を思わせるハ角堂がある。1921(大正10年)この聖徳太子1300年忌に際して建てられたもので、太子をまつっている。門前からは鎌倉の町が見渡せ、由比が浜の眺望も素晴らしい。
 本堂には、本尊の不動明王像、大日如来像、文覚荒行像などを安置する。聖観音像は、鎌倉三十三所観音霊場の第二十一番札所本尊である。
 なお、切通しを坂ノ下に下ると、本院で管理する〈虚空蔵堂〉がある。堂前には、鎌倉十井の一つである〈星月の井)がある。
 
 虚空蔵堂と星月の井
                    
 奈良時代、諸国をめぐって民間布教と社会事業に尽力した行基(668〜749)は、この地で虚空蔵求聞持法を修したという。そのとき、この井戸の水に三つの明星が輝きつづけ、水を汲みだしたところ井戸から黒光りのする石が出てきた。この奇瑞に接した行基は虚空蔵菩薩像を彫り、お堂を建てて安置したと伝える。〈求聞持法〉は、虚空蔵菩薩を本尊に迎えておこなう非常に困難な修法で、成功すれば見聞したすべでのことを忘れることがないといわれる。
 また星月の井は、昔、昼でも星の影が映っていたが、包丁を落として以後、星の影が消えたとの伝説もある。
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